054 宇多天皇 |
- 日時: 2012/01/10 02:39
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- 日本の歴史に最初に登場した猫は、宇多(うだ)天皇の愛猫である黒猫です。
宇多天皇の日記である「寛平御記」寛平元年(889)2月6日に記述されたものが、文字として記録された最初の猫です。
--------------------- 朕の閑時に、猫の消息を述べて曰ふ。 驪猫一隻、大宰大弐源精の秩満ちて来朝し、先帝に献ずる所なり。 その毛色、類はず愛しき云々。皆、浅黒色なるに、此れ独り黒く墨の如し。 其の形容を為すは、ああ、韓盧に似たり。長さ尺有五寸、高さ六寸ばかり。 其の屈するは秬粒の如くして、其の伸びるは長き弓を張るが如し。 眼睛晶□、針□の乱の如し。眩鋒の直竪の起き上がるが如く揺れず。 其の伏臥する時、団円して足尾見えず。宛も堀中の玄璧の如し。 其の行歩する時、寂寞にして音声聞こえず。恰も雲上の黒龍の如し。 性、道行を好み、五禽に暗合す。常に頭を低くし、尾を地に著く。しかるに背脊を聳せば高さ二尺ばかりなり。毛色、□澤盖、是に由るや。 亦、能く夜鼠を捕らへること、他猫に勝る。 先帝、愛玩すること数日の後、之を朕に賜ふ。朕、撫養すること今五年なり。毎旦、乳粥を以て之に給ふ。豈にただ、材能の□□を取るや。先帝の賜はる所に因りて、微物と雖も殊に懐育の心有るのみ。 仍りて曰ふ、「汝、陰陽の気を含み、支穴の形を備ふ。心有りて心寧、我を知るや」と。猫、すなはち歎息して首を挙げて吾が顔を仰ぎ睨む。心咽びて臆盈たすに似れども口で言ふこと能はず。 (「寛平御記」寛平元年2月6日条) ---------------------
大まかに現代文に訳すと、 『大宰大弐(大宰府の次官)であった源精が任期満了時に挨拶に来て、先帝(宇多の父である光孝天皇)に献上したものである。 その毛並みは大変素晴らしい。他の猫は浅黒いけど、墨のように真っ黒な猫で、韓盧のようだ。 (韓盧:中国戦国時代の韓の名犬) 長さは45.5センチで、高さは18センチほど。 小さく丸まった姿は秬粒(黒キビ)のようで、伸びた姿は弓のようだ。 目はキラキラと輝き、毛は針のようだ。 起き上がっても揺るがず、伏せた時は手足尻尾も見えずまん丸で、宛(魏時代の杭州)の塀の中の黒い宝石のようだ。 歩いても全く音も立てずに、その姿は雲上の黒龍のようだ。 足元の綺麗な道を好み、鳥に似ている。 常に頭を低くし、尻尾も低くしている。 でも伸ばすと60センチほどになる。 姿かたちは全く素晴らしい。 夜、鼠を捕らえることも他の猫より凄い。 先帝は数日可愛がった後、私に下さった。 それから、毎日乳粥を与え、5年ほど世話をしている。 勘違いしないで欲しいが、先帝から賜ったから大切にしているだけだ。 そこで、猫に「お前は陰陽の気が有るし、支穴(四肢七穴=両手・両足・両眼・両耳・両鼻・口)を備えているのだから、私の気持ちが分かるよね?」と言うと、 猫は、鳴くそぶりをして私の顔を仰ぎにらんが、口では何も言うことは出来なかった。』 って感じかな……。(間違っていたら、ごめんなさい^^;)
要約すると、 宇多天皇は、先帝から賜った自分の黒猫が可愛くて可愛くて他のどの猫よりも我が家の猫が一番。 姿かたちも鼠を捕らえるその能力も何もかも一番。 でも、先帝から賜ったから大切にしているだけで、猫バカじゃないんだからね。勘違いしないでね。 まぁ、時々猫に話しかけたりしてるんだけどね♪ この賢い猫は私の心は理解しているけど、悲しい事にしゃべれないんだよね。 って事です。
日本の記録に残る最初の「猫バカ」ですね♪ そして、現在流行している「ツンデレ」の原型なのですね♪ 宇多天皇は、側頭部に両手を掲げ、「猫耳〜♪」とかしていたのかも知れません♪
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