033 猫塚 |
- 日時: 2009/11/19 03:47
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- 「猫を殺すと七代祟(たた)る」と言われ、日本人は猫を恐れてきました。
その反面、猫の死を悲しみ、墓を立てて弔い、「猫堂」が作られたりもします。 結局のところ、「猫嫌いが祟りを恐れ、猫好きが祀(まつ)った」と言う事でしょうか。
■『新編相模国風土記稿』(天保12年(1841年)成立、全126巻)大住郡大磯宿の条(くだり)に、 『猫塚、往還(東海道)の西、畑中にあり(現在神奈川県中郡大磯町滝ノ沢)、 方九尺許、由来詳ならず、土人伝えて花水橋修理の時、この塚を穿しに、小石累々と埋れり。 其辺に粟粒色の土塊出づ、是は枯骨なるべし、 又その下に石櫃あり、鬼祟(おにたたり)を怖れ、元の如く埋しと云ふ』 とある。 現在もその場所に「猫塚」が存在するが、江戸時代に既にその由来が忘れ去られ、祟りを恐れて小山に自然石が乗せられた猫塚だけが居残っている。
日本には各地に「猫塚」なるものがある。 中には「地名」として残っているものの「猫塚」本体は見当たらない場合もある。 「猫塚」が現存し、物語も伝承されているものもある。
■福岡県宮若市に「猫塚公園」がある。 『400年以上昔、宮若市(旧若宮町)に西福寺というお寺がありました。 そこに住む和尚さんは、猫をたいそう可愛がっていた。 あるとき、その寺に大ねずみが住み着き、大暴れして和尚さんはとても困っていました。 これを見かねた和尚さんの飼い猫は、何百匹もの仲間の猫を集め、その大ねずみと長い時間戦い、とうとう退治しました。 しかし、力尽きた飼い猫や仲間の猫もみんな死んでしまいました。 哀れんだ和尚さんは、猫塚を作って、丁寧に供養しました。』 この猫は「追い出し猫」として、町興しの特産品としてキャラクター化されています。 現在、西福寺は宮若市の隣の宗像市にありますが、宮若市の西福寺跡地には「猫塚」が現存し、猫塚公園として整備されています。
■香川県高松市に「猫塚古墳」がある。 石清尾山(いわせおさん)古墳群の中にある「猫塚古墳」は「双方中円墳」の積石塚という全国的にも非常に珍しいものです。 この石清尾山古墳群には、「猫塚古墳」「姫塚古墳」「小塚古墳」「石船塚古墳」「鏡塚古墳」「北大塚古墳」などの古墳があります。 さて、この「猫塚」古墳には、猫が弔われていたのでしょうか? 出土品の中に「猫」に関係するものはありません。 勿論、猫の骨など出てきていません。 この時代(4世紀前半)に四国にイエネコはまだ入り込んでいないはずです。 一部動物学者の中には、四国には猫科の固有種がいたとする者もいますが、「猫塚古墳」とは関係ありません。 では、何故「猫塚古墳」と言うのでしょうか? ネットで調べても名前の由来は分かりませんでしたので、豊田市立中央図書館で「猫塚古墳(石清尾山古墳群)」に関連する書籍を探しました。 その結果、どの書籍にも「猫塚古墳」の名前の由来に付いて記述されている物は無いようです。 最終手段(と言うか、最初にこれをするべきだった!)として、「高松市教育委員会文化部文化財課」に電話で尋ねました。 『名前の由来については分かっておりません。 昭和初期に京都大学が調査をした時に既に地元住民に「猫塚」と呼ばれていました。』 と言う事です。 それに纏わる物語や言い伝えも残っていないそうです。 とても親切丁寧に教えて頂きました。ありがとうございました。 伝承として残らなかった物語があるのか、古墳の見た目が猫に見えたからなのかは定かではありませんが、古代の地元住民にとっては確かに「猫塚」だったのです。
■大阪府大阪市西成区の「松乃木大明神(まつのきだいみょうじん)」にも「猫塚」がある。 明治34年(1901年)に創建された比較的新しい神社です。 御神祭は「松乃木大明神」で、その由緒は「当時三味線の原料になっていた猫の供養のため」に建てられました。 まさしく「猫の御霊(みたま)を祀(まつ)る」為の神社です。
■「猫の恩返し」と言う話を知っていますか? スタジオ・ジブリのアニメ映画ではなく、落語の話です。 『江戸八丁堀に住む棒手振り(ぼてふり)の金さんが、大晦日に友達と博奕(ばくち)に手を出し、仕入れ用の金三両を失くしてしまった。 正月二日の初商売の買出しに行けなくなった金さんは、飼い猫のコマを相手に自棄(やけ)酒を飲みだす。 金を失くした経緯をコマに話し、 「猫に小判てえことがあるから、どっかへいって三両の金を都合してこいやい」 と無理なことを言いながら寝てしまった。 翌朝元日の朝、目を覚ますと枕元に三両の金がある。 喜んで飛び起きた金さんは、朝湯の帰りに酒を買って、また飲み始める。 「コマよ、お前が三両持ってきてくれたのか。ありがとよ」 と言っている内は良かったが、そのうちに酔いが回ると冗談のつもりで 「どうせ持ってくるんなら三両なんていわねえで、もっとくわえてこいやい」 と言ってしまう。 翌日の正月二日、金さんは仕入れた品を大店に持っていった。 ところが、正月にしては様子が変だった。 番頭に訊いてみると、大晦日の日に小判が三枚なくなったらしい。 元日の夜中、ガタガタと音がするので飛んでいったら、大きな猫が用箪笥を一生懸命開けようとしている最中だった。 「さてはあの三両もこの猫が盗りやがったんだ」 と、店の若い者が手に手に棒を持って追いつめた末、その猫を殺してしまったという。 金さんが猫の死骸を見せてもらうと、可愛がっていたコマの哀れな姿であった。 「勘弁してくれ」 と泣きくずれる金さんから事情を聞いた大店の主人は、コマに大いに感心して、 「これで回向院に葬っておやり」 と五両の金を金さんに渡した。 そのコマのお墓は鼠小僧の隣に建てられたという。 それからの金さんは酒も博奕もやめて一生懸命仕事に精を出すようになった。 やがて大きな店をかまえたが、その店のことを誰いうとなく「猫金、猫金」と呼ぶようになって繁昌し、明治まで続いたとのこと。』 と言う話です。 この話に出てくる「回向院」とは、東京都墨田区両国二丁目にある「両国回向院」の事です。 両国回向院は、明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を葬った万人塚が始まりで、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬します。 あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、ペットの墓も多数あります。 話の中にも出てきますが、鼠小僧次郎吉など著名人の墓もあります。 猫塚は建てられていないですが、愛する猫を弔うために墓を立てることは「猫塚」建立の本来あるべき姿と思います。 「祟りが恐いから、猫塚を建てた」のでは、猫好きとしては悲しいです。 余談ですが、1781年(天明元年)以降、この寺の境内で勧進相撲が行われたのが、今日の大相撲の始まりです。
■「猫仙人」なる人物をご存知だろうか? 不老不死の秘術を見つけ、猫塚と呼ばれる祠に1200年も生き続けている仙人。 その秘術とは自分の肉体と魂を分離し、魂は普段「猫」の中に宿らせ、肉体は猫塚の中で冷凍保存して非常時以外はなるべく使わない様にすると言うもの。 伸縮自在の体を持ち、また猫に限らず、魂を生物から生物へと乗り移らせる事が出来る。 「猫塚」を荒らされると人間を襲う事もある。 ゲゲゲの鬼太郎の攻撃も効かないほどの不死身だが、鬼太郎の「魂金縛りの術」で石の中に閉じ込められてしまった。
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